明日はもっと良い日になるよね 公太朗

人生の備忘録をつらつらと…

オシッコが出なくなったら数時間で死ぬ

節分の夜、11時頃。子供を寝かしつけて、一緒に横になっている所に妹から電話がきた。「お兄ちゃん。来た方がいいよ。」

父はもう長くないと医者から宣告され、1月が経ったころだった。慌てて妻に事情を説明し、実家に向かう。

 

家に着くと先月から実家のリビングに導入した介護用のベットで父は上を見たまま微動だにしない。

「来たよ」と声をかける。

意識はあるのか無いのか分からないが、聞いているような気がする。

目は半開きで、口を少し開けたまま肩で呼吸をしている。コー、コーと喉の音がする。

たまに喉に溜まった痰が絡み、呼吸のタイミングを乱す。

開きっぱなしの口で舌は乾燥していて、よく見るザラザラしたテクスチャではなく、表面は乾燥してビニールのようなテカリがあった。平べったい形ではなく、舌全体が縮こまって、小さなナマコの様に見える。

とてもきつそうだ。舌を潤してあげたいが、水を口内に入れることで、息が詰まり、呼吸停止してしまうかもしれない。

何もできない。

医者が言うには本人はきつくないらしい。

本当はきつくても何もできないから、無駄な心労を掛けさせない嘘じゃないのか?疑いつつも本当かどうかは分からないし、医者の言う気休めを信じる方が楽だった。

 

2日前に妻と子供を連れてきた時はまだ動く元気もあり、会話にもリアクションしていた。しかし今日はちがう。

流石に、これはもう数時間の命だと悟った。

 

家を出る時に妻に言われた事を思いだした、

「言いたい事があるなら、全部言った方が良いよ。後悔しないようにね。」

妻は数年前に祖父を亡くし、その時の経験からアドバイスをくれた。

私にはとても有り難い言葉だった。

いつかこの日がくるとは思っていたがどう接するのが正しいのか分からなかった。でも後悔無いように伝える。わかっていても恥ずかしくて出来ない事だが、教えてもらって初めて決心がついた。

 

自分が子育てをして初めて気付いた親の偉大さ。父と節分にリアルすぎて怖い鬼のお面を一緒に作った事、車でよく父が聞いていた古臭い曲が今はとてもいい曲だと感じること、

子供目線ではわからなかった、昔は感じ取れなかった親目線での思い出を話した。

父の手を握りながら喋っていたらいつのまにか泣いていた。

手を握って、肩をさすりながらなるべく楽しい話を大声で母と妹と話した。

リアクションは無いが、目は開いて息もしている。きっと聞いていると思った。

 

気がつけば1時間も経っていた。中腰だったため腰が痛くなっていることに気付いた。父は息が荒くなり、肩が更に大きく揺れ出した。喉も痰が絡みゴロゴロと言っている。気付けば目は瞬きをしておらず、瞳は乾ききっていた。

 

もうそろそろかも。心配になった私たちは駆けつけてくれる医者に連絡をいれた。

15分待っても医者はまだこない、父は変わらず荒い息をしている。

そういえば、医者が車を停めるスペースが無い。気付いた私は父に「3分で戻ってくる。待っててね」と車を移動しにいった。

 

動揺しながら動かす車はなかなか思い通りに操作できず、5分が経とうとしていた。

思い出したように慌てて部屋にもどる。

今思えば、父にとってのこの3分はとても長い3分だったに違いない。何故車を動かしになんていったのだろうか。

 

戻った時には父は最期の息遣いをしていた。母も妹も大きな声をかけ続け泣いている。私も必死に手を握り声をかけた。「ありがとう。心配しないでいいよ。ありがとう。ありがとう。」

 

人の死ぬ瞬間なんて一瞬だった。

握っていた父の手のぬくもりはほぼ私の体温だった。

父は口から内容物を吐き、目を力強く見開いた。気がつくと動かなくなっていた。死んだのか?よく分からない。判断なんてできないししたくない。母も妹も分かっているが、誰も決めつけた様な言葉を言えない。でも火が消える瞬間に強く燃える様に、父も最後の力を使い果たしたのが分かった。

15分後に医者が到着し、父の死亡を告げた。父は今死んだ。

医者が来る前に父は動かなくなっていた。途中から手も離した。分かっていても言われた瞬間に死んだ。そんな気持ちだった。

 

実に呆気ない。心の準備が出来ている様で出来ていない。これから葬儀の準備になるんだろうな何て考えていた。

事後処理は淡々と進む。深夜にも関わらず看護師に来て頂きお気に入りのよく着ていた服に着替えさせた。死亡処理で、遺体の穴から内容物が出ないよう、注射器の様なもので薬剤を注入されていた。きっと固まるやつだ。鼻の穴から長さ10㎝はあるチューブを突っ込まれていた。痛そうだなと思いつつ死んでいるのだからと自分の気持ちを訂正する。

 

看護師も帰り、母と妹と私で、なんて事ない会話をする。父が死んだ後とは思えない。皆んな父が死んだ話をする。やっと出来た。1ヶ月前から分かっていたが、「死んだ」時の話なんて泣きそうになるから誰も言えなかった。今は言える。すでに涙も流した後だ。心なしか、モヤモヤが晴れた気がした。

 

最後に

駐車場から戻り、ものの1分で父は他界した。後から思えば父は私が戻って来るまで最後に踏ん張っていたのかもしれない。最後に頑張らせちゃったね、ごめん。ありがとう。逝く時もきつい顔はせず、力強く見開いた、痩せ我慢する父らしい最期だった。

私だって最期は強い父のまま死にたい。家族に見守られながら逝きたい。そう思うと父の最期はとても良いものに感じた。全て伝えた、後悔もない。だからといって悲しくないなんてことはない。父は死んだが、これからも父のためにできることは何でもやりたい。そう思った。